しまいたのプロフェッショナル 大冨しまいたミュージアム 第52号 2014.10.01発行

社内イベントのお知らせ

大人の夏の楽しいイベント のはずが・・・・

今月は社内イベントが無かった為、大人の夏の楽しいイベントを紹介するつもりでした。museum52_img03.jpg

実は、9月のある日曜日、ボートをチャーターしてサワラ釣りに出かけました。

淡路島の東側のポイントに着きました。

この時期、バシャバシャとイワシを捕食する為サワラが跳ねているのが通常ですが、「あれ・・・・っ。サワラが跳ねへん。」何時間待っても状況は変わりません。

撃沈でした。

今回の釣行は、約6時間のクルージングで終わてしまいました。

心が傷ついたまま、マリーナにもどりました。museum_img04.jpg

「これじゃーブログのネタになれへんな~」と傷心のまま桟橋から岸壁に渡ろうとした時、スロープに縞板を発見。

塩水を被るこの様な悪条件の場所で、マリーナに来られる皆さんの足元を守っているけなげな縞板を見て、少し心が癒された気がしました。

museum52_img05.jpg帰りがけに「しっかり頑張りや」と縞板に声をかけましたが、「お前こそ頑張れよ」と言い返された様な気がしました。

 

「よーし、次こそ爆釣だ~っ!!」と空元気を出して家路につきました。

「あ~あ・・・・・辛っ。」

社員ブログ

安治川のトンネル

museum52_img06.jpg大阪市西区と此花区を分ける安治川にある川の下を潜るトンネルがあります。

以前、通勤に利用していました。

大型の船の往来が多い安治川に大掛かりな橋を架ける事が出来無かったようです。

トンネルは1944年(昭和19年)に開通。museum52_img07.jpg

14m下の通路までの移動はエレベーターを使用する当時では珍しい構造となっています。

当時は車も通行出来ましたが、1963年(昭和38年)に43号線の安治川大橋が開通したため車の利用台数が減少し、1977年(昭和52年)に車道は閉鎖されました。

現在は、歩行者/自転車専用のトンネルとなっていています。

現在使用されているエレベーターの床一面には縞板が使われています。

このような地域に根付いた、そして日本でも珍しい施設に縞板が使われている事を少し誇らしげに思いました。museum52_img09.jpg

毎日地域の多くの方が利用されています。museum52_img08.jpg

意外と、夏は涼しく/冬は暖かいですよ。

近くにお寄りの際、一度トンネルを通られたらいかがでしょう。

その節は、縞板も見てやって下さい。

利用される方々の足元をしっかりとサポートしています。

社長のひとり言

社長のひとり言!?

デフォルメ社長

人には誰しも天賦の才というものがあるのでしょうか。

私の場合は「周囲を不愉快にさせる天才」と言われております。

先日もある日本料理の昼食会でのこと。私の後方の集団席から幼児の奇声が聞こえてきます。多少のむずかりならまだしも、何が気に食わないのか、ただ我儘な奇声なのです。それも続くのです。

おもむろに私が何度か振り返ったにも拘わらず親は何食わぬ顔。

―けしからん!― 私は必殺の気合いを込めそのバカ母にメンチを切り(眼を飛ばし?)ましたが、私と目を合わそうとしません。

隣のバカ父も気付かぬ様子です。

そうこうするうちに、こちらの席は何とも気まずい空気に。

当然、折角の料理の味など分かる筈もない有様です。

児童虐待などは言語道断あってはならぬことですが、逆にこういう親子がノサバル・増殖するというのも如何なものでしょう。

親子共々遠島、島流しに処したい気分です。

 

そんなことが私の周囲では、私の子供たちがまだ小さな時から幾度となく繰り返されてまいりました。

家族団欒の外食の席で、あるいはクラシック音楽のコンサートやピアノ演奏会の席で。

因みに音楽会では幼児もさることながら、少し年配の方々の中にひどいのがいます。やたら咳き込むオヤジやおばちゃん(体調悪いのなら諦めなさい)、また必ずビニール袋から飴ちゃんを取り出そうとするオバちゃんたち。それもそぉーっと取ろうとするから余計にその音が長く邪魔するっちゅうねん。いつの間にか私は音楽どころの騒ぎではなくなり、咳とビニール袋に殺気立ち、隣で聴き入っていた家族には「またか・・」という嘆息が起こります。

不愉快なことに腹を立て、自分の周りをそれ以上に不愉快にさせてしまう天才の私。

なんと皮肉なことでありましょう。

 

と、馬鹿な話を述べている場合ではないことが起こりました。

御嶽山の噴火です。どうしてこうも引っ切り無しに天災が降りかかって来るのでしょうか。

東北地方の地震と津波被害から、最近では広島の土石流まで。

その間に起こった福知山の水害などでは被災者の方々から「もう忘れられてしまっているのでは」と救援を危惧する声があがっているそうです。

そんな中での今回の噴火。

 

お亡くなりになった方の知人がインタヴューに答えて「いい人と言う他ないようないい人だった。」と語っておられました。

 

数々の災害ではこうした掛替えのない、本当に多くの「いい人」達の生命が失われたことでありましょう。

 

今からどう頑張っても「いい人という他ない・・・」というコメントは有り得ない自分ではありますが、

心からの敬意と哀悼の念をもって、その方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

 

今年も金木犀が切なく麗しく香っております。

嘆き悲しむすべての人々に少しでもの慰めとなりますように。